2020年6月29日月曜日

大分交通国東線

私は鉄道マニアでは無いです
子供の頃の記憶は蒸気機関車と新幹線くらいです(^^;;;
東京にいた頃は主に緑色の山手線とオレンジ色の中央線と黄色の西武新宿線の3つでした
国東市に引っ越して、、、
かつてはここに鉄道があったと知りました
その跡地を辿って地図を作成してみました
kunisaki_line0.jpg








■国東線
起終点     起点:杵築駅~終点:国東駅
開業      1922年7月7日
廃止      1966年4月1日
路線総延長 30.3 km
ウイキペディアより


■廃線
1961年(昭和36年)10月26日には集中豪雨により、安岐川に架かる第2安岐川橋をはじめほとんどの鉄橋が流失  ウイキペディアより

鉄橋が無くなったため安岐 - 武蔵間のみが休止されたのですが、5年後の 1966年に全線が廃止されたようです
大分空港がここ国東市に移転してきたのはその後です




■停車場

距離 停車場    
0杵築駅
1.2八坂(停)
3.3祇園
 若宮(臨)
5.1杵築町
6.2大内(停)
7.9灘手(停)
9.4守江
 東守江
11.8狩宿(停)
13.9奈多八幡
14.9北奈多(停)
 志口(停)
18.1安岐
19.1古城(停)
 大海田(停)
23.3武蔵
24.9池の内(停)
26.4綱井
 黒津崎(臨)
29.1小原(停)
30.3国東駅
ウイキペディアより

■マップ
地理院地図の中にある「1961年~1969年の写真」と「最新の写真」とを
重ね合わせて鉄道の位置を確認したつもりです
停車場は現在のバス停や地名、周囲の道路事情などから位置を推測しました
正確な情報ではないことにご注意下さい
もしも間違いがありましたらご指摘下さい

かつてあっただろう鉄道と停車場と写真を整理してマップにしてみました
ここをクリックするとグーグルマップを表示します

表示されるアイコンは2種類です
kunisaki_line_icon1.jpg停車場
kunisaki_line_icon2.jpg写真


■感想
国東市(国東町・国見町・武蔵町・安岐町)の人口推移を見ると
1930年当時の人口は5万3千人
1950年当時の人口は6万5千人
1965年当時の人口は5万2千人
多くの人と物資が行き交う時代だったのでしょう
ちなみに現在の人口は2万7千人と半減しています

加えて大分空港が国東市に移転したのは1971年だそうです
10年後20年後を見据えた都市計画って言葉は簡単ですが、
インフラや予算を考えるとなかなか難しかったことでしょう
もしも鉄道が残っていたとしても、人口推移と車社会から、、、
赤字路線になっただろうと容易に推測できます

現実は別にして、、、
どんな切符だったのかな?
どんな汽車が走ってたのかな?
どんな人達が利用していたのかな?
窓の外はどんな風景だったのかな?
などと想像してみるのも楽しいです

0 件のコメント:

コメントを投稿

ヒヤッ!としたこと

 昨年に車を運転していてヒヤッ!としたことを書き留めます 反省を込めて下記4つです ・バックするつもりがDに入っていたこと ・思いがけない段差がありアクセルを踏んでしまったこと ・右折時に後から自転車が来ていたこと ・右折時に後から車が来ていたこと 「いらすとや」より