みすぼらしい身なりの老婆は「救貧院」で過ごしていたことがわかります
その叫びは「救貧院の遠吠え」と呼ばれたそうです
「救貧院」は workhouseと発音していました
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自立して生活できない者を収容し仕事を与えていた施設
1845年に政府がアンドーヴァー救貧院に対して行った調査により、
十分な食料を与えられていなかった収容者が、その腐敗した骨を奪い合い骨髄にかじりついていた窮状が発覚
1948年に国民扶助法が制定されたことにより救貧法は最後の痕跡まで無くなり、それとともにワークハウスは廃止となった
(ウイキペディアより)
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ドラマは1957年のロンドン、イーストエンドなので、10年ほど前に「救貧院」は廃止になっています
老婆の過去は決して大げさではなかったと知りました
ナース・リーが調べた結果、5人の子供たちが眠る共同墓地へ
果たして老婆は救われたのでしょうか?
修道院の前に置かれた赤ちゃんの母親は無事に見つかり育てることになりました
意に反して子供たちと離ればなれになった老婆
意に反して子供を修道院の前に置いて行った少女
絶望と希望の対比が印象的でした
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